これからのこと

稲刈りコンバイン掛けて干すことを大事にしてきました。おいしくなるだろうことに時間をかけていたかったからです。それができる状況が欲しかったし、そうであって欲しかった。おいしければ、いろんな人に食べてもらえて、何かに頼ることなく米を生産できるようになって、人に薦められるようになって、そういう人がちらほら出てくるようになると思っていました。
10年やってみましたが、そうはなりませんでした。おいしく育っても、まあまあに育っても、失敗してもお客さんの数はそれほど変わりません。生産し続けることでは思っていた形を作ることはできませんでした。
その代わり、気づきがありました。
物事には「生きやすさ」というものがあるように思います。それは時代、文化、環境で定まっているようにみえます。必要なもの、優れたものであっても、それが「生きにくい」状況の中にあればなくなってしまいます。人だったら「見た目」が良かったり、社交的だったり、裕福だったりすると生きやすいかもしれません。障害があったり、内向的であったり、お金がなかったり、危険な地域で生活していたりすると生きにくいかもしれません。比較はできません。私は私で、誰かになることはできないのだから。だからこそ社会があり、福祉があります。

どんな人も、こうしたい、こうなりたいと思ったことがあるのではないでしょうか。みんながやりたいことをやっていられるわけではありません。しかし、それに向かって始めて、続けることはできるはずです。しかしやらない。できない。どうしてでしょう。やはり、結果じゃないでしょうか。しかし、「結果」とはなんでしょう。私の場合、掛けて干すことを10年でやめました。もしかしたらあと10年続ければ望んだ環境が整ったかもしれません。20年かもしれないし、30年かもしれない。ただ、良いと思うことを続け、認知されるのを待つ人生になります。私は10年でしたが、はじめなかった人は「認められないだろう」とやる前に思ったのではないでしょうか。続ければ良いわけではありませんし、諦めれば良いわけではありません。
「生きやすさ」というのはそのもの持つ特徴が認められるまでの年月ではないでしょうか。人も物も今の時代に合った「生きやすい」特徴だけが残っていくのが良いとは思えません。生きにくいけれど優れたもの、特徴、可能性そういったものも残していけるように。少なくとも「生きにくい」物事であっても始められるように。やりたいと思ったら、無駄かもしれなくても始められるように。思いついたこと、やりたいと思えたことそれ自体が価値あることだと認められて、あきらめがつくまでやり続けられるようになったらと思うようになりました。
これから私はそういう仕組みを作るために時間を使います。そのために掛けて干すのをやめます。しかし、一旦です。そういう仕組みができたら、また掛けはじめます。

続いていくモノゴト集
↓「Croq(クロック)」

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追記:とはいえ、産業廃棄物とされる、ビールかす、おから、魚粕等々を直接引き取り、肥料にして、草を取り、機械乾燥にするとはいえ、灯油は使わず送風だけで乾燥させます。
環境負荷の小さい栽培方法で、無農薬、無化学肥料で育てるということは変わりませんので、食べてください。
作業した分は買い取るという条件で一緒に掛けて干したりはやっていただけますので、気軽にお問い合わせください。


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